世界の歴史では、以下の記事を掲載しております。

(6)20世紀の椅子に見る機能性と芸術性

19世紀の中頃から、”ゆったりと座る”座り方が流行しました。儀礼的な場においても、必ずしも直立した座り姿勢が求められず、むしろ、リラックスした座り姿勢が奨励されたのです。こうした風潮は、とくにイギリスを中心として、椅子の座り心地を求める願望の高まりにつながりました。豊富な詰め物で膨らんだシートに房飾りのついた椅子がもてはやされました。しかし、20世紀に入って、機械化の進展や製造技術の高度化、さらには新素材の開発などをベースに、椅子のデザインについてますます多様化が進み、椅子に求められる機能と芸術性の問題についても様々な展開が見られることになります。

アート・ファーニチュア(芸術家具)としての椅子

19世紀の末、機械生産による量産化が粗悪品を生み出すという批判を受けて、イギリスのウイリアム・モリスのイニシアティブによる、中世の理想としての職人技への回帰を目指したアーツ・アンド・クラフツ運動が起きたことは前章で触れましたが、ほぼ同じ時期、フランスを中心にアール・ヌーヴォー(新しい芸術)の運動(1873-1913年)が展開されました。この運動の特徴は、機械生産をある程度受け入れると共に、非対称の曲線をもった草花など、ひらめきの源泉を生物の形態に求めたことです。したがって、内容よりも外観や装飾性が重視されました。建築家であるヴァン・デ・ヴェルデが代表的なデザイナーでしたが、椅子は建築様式や室内装飾に合わせてデザインされました。そこには人体との調和という視点はなく、このアール・ヌーヴォー 様式の椅子は座り心地が20世紀で最悪の椅子という評価になっています(1)

この時期、イギリスでは、チャールズ・レニー・マッキントッシュがグラスゴー派を立ち上げ、ゴシック的で簡潔な垂直線、水平線による緊張とアール・ヌーヴォーの優雅な曲線装飾を取り入れた独自の世界を展開しました。批評家によれば、彼の椅子は、アーツ・アンド・クラフツの頑強な男らしさやアール・ヌーヴォーの曲線による官能表現とも違った、不思議な清新さがあると評されています(2)

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写真6.1ラダーバックの小椅子、C. R. マッキントッシュの作、1903年頃(3)

写真6.1は、彼の代表作の1つであるラダーバックの小椅子ですが、 グラスゴーのウイロウ・ティルームのためにデザインされたものです。彼は、椅子を”空間を定義し分割する構図の中の1つの要素”としてとらえたということですが、座る人のタスク―この場合は、リラックスしてお茶や会話を楽しむ―は念頭にない、いわんや健康な座り姿勢を支持するという椅子の機能などまったく考えられていません。J. ピントは、この椅子は、座ったときに臀部を前方にずらして座ることになり、前屈みで脊柱後湾の姿勢になるので、脊椎の健康上よくないと評しています(4)

バウハウスの理念とファンクショナリズム(機能主義)

1919年、ドイツにバウハウス派と呼ばれる学派が誕生しました。「すべての物はその本質によって決定される。すなわち、実用的な機能を満足し、もちがよく、安価で、しかも美しくなければならない」というのがその学派の理念でした。機能が定まれば、そのフォルム(形態)は必然的に決まる。すなわち、「フォルムは機能に従う」が合言葉で、ファンクショナリズム(機能主義)と呼ばれました。しかし、J. ピントは、「バウハウス派は椅子の本質的な機能が見た目の美しさにあると理解したようだ」と皮肉っています(5)

写真6.2は、バウハウスの校長も勤めたミース・ファン・デル・ローエがバルセロナ万博(1929年)のために設計したバルセロナチェアを示しています。金属脚と革張りシートで構成されたシンプルな外観ですが、複雑で伝統的な生産方式が使われており、古代ローマのセラ・クルーリスなど、古代の折りたたみスツールをモデルにしたといわれています。

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写真6.2  バルセロナチェア、M. F. デル・ローエの作、1929年(6)

写真6.3は、やはりバウハウスの代表的なデザイナーであるマルセル・ブロイヤーの作品として有名なワシリーチェア。

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写真6.3  ワシリーチェア、M. ブロイヤーの作、1925-27年(7)

また写真6.4もブロイヤーの作によるもので、カンチレバーチェアです。これらは、独特の幾何学的形状と当時の製造技術、さらには虚飾の排除による経済性がマッチした結果と思われますが、今日でも高い人気を誇っています。

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写真6.4  カンチレバーチェア、M. ブロイヤーの作(8)

しかし、これらバウハウスの代表作も、椅子の機能という視点での評価は芳しくありません。F. ド・ダンピエールは「光沢があって格好がよいが、いかにも座り心地がわるそうな椅子」と評しています(9)。また、J. ピントによれば、「バルセロナチェアもワシリーチェアも、着座したときに座り心地をよくしようとすると、ともに前かがみの腰椎後湾姿勢になるので、健康上よくない。また、カンチレバーチェアは、食事のときに身体を前のめりにすると椅子が不安定になるので、椅子の機能としては問題がある」という評価です(10)

望ましい座り姿勢を支える椅子

F. ド・ダンピエールは、19世紀から20世紀にかけて椅子の座り心地の追求がおもな欲求になったと記しています。彼女がいう座り心地とは、詰め物で膨らんだシートや背もたれにリラックスしてゆったりとかけたときの心地よさを指しています。19世紀の中頃にはコイルスプリングが採用されるようになって、より安価にこの座り心地を手に入れられるようになりました(11)

一方、J. ピントは、椅子が本来有すべき機能として次の2つを挙げています。1つは、脊椎の健康にとって望ましい座り姿勢(postural health)を正しく支えること、他の1つは、人が椅子にかけて何らかのタスクを行うときに、椅子がその人の動きに上手く適合すること(task appropriateness)、言い換えれば、タスク・パフォーマンスに寄与することです。彼女は椅子の持つ芸術性を否定しているわけではありません。椅子の審美的な役割も十分評価するが、それはあくまで二次的な機能だという主張です(12)

彼女は『A History of Seating』のなかで、どのような座り姿勢が腰椎の健康によいのかをめぐって、20世紀の中頃から末にかけて、専門家の間にも2つの対立する主張があり、両者の間で激しい論争があったことを詳細に記しています。一時は、P. C. ウイリアムズらが主張した、リラックスした、前かがみの座り姿勢(slouched posture / kyphosed posture)が座り心地がよく健康上も望ましいとする説が有力視されました。これは、18世紀のルイ15世の時代、ロココ様式の凹面の背もたれの椅子に前かがみの姿勢でゆったりと座ったときの座り心地が快適で、健康にもよいとされて以来、長年にわたって広く受け入れられてきた考え方です。

しかし、20世紀の末になって、A. C. マンダルやR. マッケンジーらが主張した、腰椎の自然の前彎姿勢(naturally lordotic posture)を保つ座り方の方が、前かがみの座り姿勢よりも腰椎に損傷を与えるリスクが小さいことが科学的に証明されました(13)。J. ピントは、この自然の前湾姿勢を保った座り方をしながら、適度な身体の動きを行うことをアクティブ・シッティング(active sitting)と呼んで、脊椎の健康を考える上での重要性を指摘しています。前記の機能性に優れた椅子に座り、タスクをこなしながらこのアクティブ・シッティングを実践するなら、脊椎の健康によく、かつ機能的でもある、ダイナミックな座り姿勢として推奨されると結んでいます(14)

人間工学に基づく椅子のデザイン

この間の1970年代には椅子のデザインに人間工学が導入されました。この時期デスクトップ・コンピュータの導入によって、オフィス環境が一変します(15)(注1)。健康的な座り姿勢とならんで、座る人がどのような目的でその椅子を使うのか、タスク・パフォーマンスの問題を含めて、オフィス用椅子についての人間工学的検討がなされました。1970年にはA. C. マンダルが、19世紀のパテント椅子のアイディアを発展させて、ランバーサポートの位置を調節可能にし、また前傾姿勢の作業に対応して座面を前方に傾斜させる機構を発表しました(16)。やがて1980年代には、座る人の体型や座り姿勢、さらにタスク適合性に配慮した、複数の調節機構に発展しました。こんにちのエルゴノミクス・チェア(人間工学的な椅子)には、背もたれや座面に限らず、ヘッドレストやアームレストなどを含めて、きわめて高度な調節機構がついています。しかし、F. ド・ダンピエールによれば、「余りの複雑さゆえに、本来の目的である、すべての人に快適な座り心地を提供することを難しくしている」(17)であり、J. ピントも、健康によい座り姿勢の教育と的確な動作解析に基づく調節機構の適正化の必要性を説いています(18)。また、J. ピントは、こうした科学的な知見が、ダイニングチェアやレジャー用椅子のデザインなど、オフィス以外の日常活動の分野の椅子にほとんど活用されていない現実を問題点としてあげています(19)

おわりに

椅子の歴史を振り返ったとき、F. ド・ダンピエールによれば、「椅子は古代から今日までの社会の営みを目撃してきた。それは人間のドラマにおけるもうひとりの登場人物」 (20) であり、一方J. ピントは次のような内容にまとめています。タスクへの対応を意図して生まれた古代エジプトの椅子は、ギリシア時代には優美なクリスモス椅子に取って代わられたが、その後も、機能性重視の椅子が長く続くことはなかった。中国様式の椅子も、カンバセーション・チェアなど目的特化の椅子も、はたまたパテント椅子も、その都度、ギリシア時代から続く、見た目に美しい芸術性豊かな様式が復活し、これにその地位を奪われるという歴史を繰り返してきた(21)

その上で、彼女は、「いまや椅子のデザインの黄金時代を迎えようとしている。芸術性が機能性に取って代わるのではなく、科学の進歩が日常の椅子のデザインにも波及し、それが審美的要素とうまく融合して新しい様式を生むに違いない」(22)という言葉で結んでいます。

注1:日本のオフィスにこのような変化が起きたのは1980年代でした。

(完)

出典:

(1)『Chairs: a history』(Florence de Dampierre著、Abrams、2006年)p.310

(2)  同上 p.345

(3)  同上 p.344

(4)『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )p.211

(5)  同上 p.217

(6) 『Chairs: a history』(Florence de Dampierre著、Abrams、2006年) p.383

(7)  同上 p.380

(8)  同上 P.381

(9)  同上 P. 9

(10) 『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )p.218

(11) 『Chairs: a history』(Florence de Dampierre著、Abrams、2006年)p.337

(12) 『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )p.286ほか

(13)  同上 p.296ほか

(14)  同上 p.283

(15)  同上 p.231

(16)  同上 p.218

(17) 『Chairs: a history』(Florence de Dampierre著、Abrams、2006年) p. 11

(18)『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )p.234

(19)  同上 p.299

(20)『Chairs: a history』(Florence de Dampierre著、Abrams、2006年)p.11

(21)『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )p.283

(22)  同上 p.300

(5)イギリスの椅子の黄金期

イギリスにおける椅子のデザインは、古くから欧州大陸諸国の影響を受け、また17世紀には中国趣味も加わりましたが、18世紀前半まではフランスの影響が圧倒的でした。それが18世紀の後半になると、逆にイギリス趣味がフランスを始め欧州諸国やアメリカにも目覚ましい影響をおよぼすようになります。この時期以降19世紀を通じて、イギリスは産業革命を経て資本主義を主導して世界を制覇しましたが、椅子の世界でも時代の流行の先端を駆けることになり、まさに黄金期を迎えました。

18世紀前期―中国の影響を受けたクイーン・アン様式

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写真5.1 クイーン・アン様式の小椅子(2)

前記の黄金期のはしりの時期に当たりますが、健康的な座り姿勢を支持する椅子の機能に着目するJ.ピント(1)が注目したのはアン女王(1702-14年)の時代のクイーン・アン様式と呼ばれるデザインです(写真5.1参照)。
ギリシア・ローマ以降中世にかけて世界の先端を駆けた中国の椅子づくりの技術が、17-18世紀、折からの東インド会社を中心とした東西交易隆盛の波に乗って西欧に伝えられましたが、その影響をもっとも直接的に反映したのがこの様式なのです。腰椎の輪郭を模した背もたれのスプラット(平板)が特徴で、パッド(詰め物)入りの布張りがないにも拘わらず、座り心地がよいと評価されたといいます。

しかし、腰椎の自然なカーブを支え作業性にも優れた中国椅子の特徴は長く続きません。18世紀中頃には、美的感覚重視のデザインに取って代わられます。当時のデザイナーが漆塗りの技法に魅せられたこと、マホガニーの輸入税廃止(注1)を契機に彫刻家具が流行したこと、さらにはポンペイの古代遺跡発掘(注2)がギリシア・ローマへの回帰ムードを高めたことが、この背景になったと記されています。

18世紀後期―チッペンデール、ヘップルホワイト、シェラトンの様式(イギリス新古典主義の時代)

18世紀の中頃、フランスのルイ15世の時代に一世を風靡したロココの運動を受けて、イギリスに登場した巨匠がトーマス・チッペンデールです。彼は1754年に家具の専門書として最初の『紳士と家具師のための指針』を出版して、一躍この時代の最も有名なデザイナーになりました。彼のデザインは、当初はクイーン・アン様式に近いロココ調が基本でしたが、古典主義の復活も視野に入れた多様化の方向示しています。

こうしたデザイン教本出版の流れは、イギリスにおける新古典様式を『箱物家具師と室内装飾家の手引』にまとめたジョージ・ヘップルホワイト、さらにイギリス新古典主義の絶頂期に『箱物家具師と室内装飾家のための図案集』を刊行したトーマス・シェラトンに引き継がれ、その内容はヨーロッパ全土に広がっただけではなく、遠くアメリカの椅子づくりにまで影響を与えたといわれます。ただ、本稿のベースとした『椅子の文化図鑑』(3)と『A History of Seating』(1)の両書のいずれにも、残念ながらこれらの教本に基づいてつくられた椅子の実物の写真が掲載されていません。以下は教本の中から引用したいくつかの図案の例です。

写真5.2は、チッペンデールの代表作のひとつで、ジョージアン様式と呼ばれた時代のサイドチェア(小椅子)の代表例です。クイーン・アン様式の名残を感じ取ることができます。

5.2Chippendale side chair

写真5.2 サイドチェア/チッペンデールのデザイン(4)

写真5.3はシールドバック(楯型の背もたれ)の肘掛け椅子で、ヘップルホワイトの代表的なデザインとして知られています。

5.3Hepplewhite shield back chair

写真5.3 シールドバックの肘掛け椅子/ヘップルホワイトのデザイン(5)

この時期の椅子における審美性の追求は主として背もたれのデザインに集中しました。背もたれは、脊椎を支えるというより、装飾品を収める場所として扱われたのです。背もたれの外枠はシールドバック(楯型の背)の形とし、中央部分にはさまざまな図形の装飾が施されました。全体としては、直線構成に基礎をおきながらもこれに修正を加え、微妙な曲線を用いて柔らかで優美な感覚をもたせるという、新古典主義の作品です。写真5.4と5.5はいずれもシェラトンの作品ですが、写真5.4は、タブバック(浴槽型の背もたれ)と呼ばれる安楽椅子タイプの肘掛け椅子、

5.4Sheraton tubback chairs

写真5.4 タブバックの肘掛け椅子/シェラトンのデザイン(6)

写真5.5は、シェラトンが名づけたといわれるカンバセーション・チェア(談話用椅子)を示しています。

5.5Sheraton conversation chair

写真5.5 カンバセーション・チェア/シェラトンのデザイン(7)

カンバセーション・チェアは、背もたれとつながるところの座面が細めになっており、座り手は両脚を広げて座面をまたぎ、背もたれに向かって座るようにつくられています。

19世紀―擬古調から多様性の時代へ

フランス革命の後、欧州大陸ではナポレオンのエジプト遠征などもあってエジプト趣味が人気を博し擬古調が主流になりました(アンピール様式)。この時期イギリスは親フランスの皇太子ジョージによる摂政期(リージェンシー)に当たり、再びフランスの影響を受けて古典主義への明確な回帰を特徴としたリージェンシー様式の時代を迎えます。同時に、中国様式や漆塗りなどの日本趣味の導入、さらには籐張りの背もたれや座の採用、ブール象嵌細工など、多様性に富んだ内容になりました。

写真5.6はリージェンシー様式の応接間用椅子ですが、クリスモス・チェアの影響を見て取れます。

写真5.6 リージェンシー様式の応接間用肘掛け椅子(8)

カンバセーション・チェアは、背もたれとつながるところの座面が細めになっており、座り手は両脚を広げて座面をまたぎ、背もたれに向かって座るようにつくられています。

19世紀―擬古調から多様性の時代へ

フランス革命の後、欧州大陸ではナポレオンのエジプト遠征などもあってエジプト趣味が人気を博し擬古調が主流になりました(アンピール様式)。この時期イギリスは親フランスの皇太子ジョージによる摂政期(リージェンシー)に当たり、再びフランスの影響を受けて古典主義への明確な回帰を特徴としたリージェンシー様式の時代を迎えます。同時に、中国様式や漆塗りなどの日本趣味の導入、さらには籐張りの背もたれや座の採用、ブール象嵌細工など、多様性に富んだ内容になりました。

写真5.6はリージェンシー様式の応接間用椅子ですが、クリスモス・チェアの影響を見て取れます。

5.6

写真5.6 リージェンシー様式の応接間用肘掛け椅子(8)

写真5.7は、同じくリージェンシー様式によるスネーク・チェアの一対を示しています。擬古趣味を基調としながらも、デザインの斬新さを窺い知ることができます。

5.7

写真5.7 リージェンシー様式のスネーク・チェア、一対(9

多様性の流れは、社会意識の変化と相まって、様式からの脱皮の傾向につながります。ヴィクトリア女王の時代(1837-1901年)には、復古調を加味した折衷派の色彩を帯びて様式の混乱が起きたとされています。また、産業革命で機械生産が可能になりましたが、これが手づくりに代わって量産による粗悪品を生み出すという批判も起きました。これがウイリアム・モリスの提唱した、中世の理想としての職人技への回帰を目指したアーツ・アンド・クラフツ運動になり、やがては19世紀末から20世紀初頭にかけて展開された、アール・ヌーヴォー(新しい芸術)と呼ばれる様式の誕生につながりました。これを境に20世紀の近代デザインに移行していくことになります。

カントリーチェア

イギリスの各地方で17世紀の後半から19世紀にかけて、田舎の人たちが使う目的で村の大工がつくったのがカントリーチェアと呼ばれる椅子です。その特徴は、使い勝手のよさであり、実用的であることです。多くの場合、単純なつくりで地味ながら、堅牢性と明快でシンプルな形が歴史的に高く評価されているといいます。これらは工場での大量生産とは無縁で、いずれも手づくりです。

その代表格がウインザーチェアです(写真5.8参照)。

5.8Windsor chair

写真5.8 ウインザーチェア(10)

カエデの一体ものでできたD字型の座面に、背もたれ部分のスピンドルや肘掛けサポート、それに脚や貫などはいずれも竹を模した形に旋盤加工されています。アーチ状の背もたれは曲げやすいヒッコリでできています。

ウインザーチェアという呼び名と独特のデザインの由来は定かではありませんが、一説には、イギリスのジョージ2世(1727-60年)が、ウインザー城の近くで狩りをしていたときに嵐に襲われて、避難した羊飼いの小屋にあったのが、それまで見たこともないデザインの手づくりの椅子で、王はその気品のある形態と座り心地を大いに気に入って、同じものをつくらせたのが始まりといわれます。マホガニー製の椅子が人気の時代に、イギリスの片田舎で誕生したこの質素な椅子は、アメリカに渡って大きな進化を遂げ、18世紀の中頃から19世紀の初めにかけてアメリカでもイギリスでも大流行しました。

ウインザーチェアは、何といってもその気品のあるフォルムに特徴がありますが、軽くて堅牢、その上安価だったので、ポーチでも、台所でも、あるいは屋根裏の小部屋でも、日常生活のいたるところに利用されたようです。背もたれの形が、上から見るとちょうど弓のように彎曲しているので、ボウバックチェアとも呼ばれます。

注1:1733年、英国でマホガニーの輸入税が廃止され、これを契機にマホガニーが高級家具材としてウォルナットに取って代わった。

注2:1737年と1747年に実施。

出典:

(1)     『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )

(2)      同上 p.107

(3)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)

(4)       J.Munro Bell: Chippendale, Sheraton, and Hepplewhite Furniture Designs―Reproduced and Arranged, Gibbings and Company, London, 1900 〈東京大学総合図書館所蔵〉p.2

(5)       同上 p.210

(6)       同上 p.137

(7)       同上 p.71

(8)     『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )p.158

(9)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.289

同上 p.97              

(4)フランス宮廷文化最盛期の椅子

フランスでは、国王が家具職人の最大の保護者でした。ヴェルサイユ宮殿を建てたルイ14世(1643-1715年)の時世からフランス革命の後に処刑されたルイ16世(1774-93年)の時代にかけて、フランスの宮廷文化が最も華やかな時代でしたが、当時の欧州における椅子のデザインをリードしたのもフランスの椅子でした。

ルイ14世とバロック

ルイ14世が1682年に建てたヴェルサイユ宮殿はバロック建築の代表作です。椅子は建築様式にマッチした室内装飾品の一部という位置づけでしたから、バロック調の椅子は、大きく豪奢な男性的装飾と完全なシンメトリー性が特徴でした。バロックはローマを発祥の地としていますが、たちまちフランスを席巻しました。

また、王権神授説の考え方と相まって、宮廷の儀式や座席配列の階級制が重視されましたが、椅子は権威の象徴として、序列づけに利用されました。フォテーユと呼ばれた肘掛け椅子が最上位で、背もたれつき椅子(小椅子)、次いでスツールの順です。写真4.1は、ルイ14世のフォテーユで、1660-80年頃の作品です。ウォルナット材に施された重厚な木彫り、ダマスク織り、刺繍シルク、ビロード布地での張り装飾が施されています。ヴェルサイユ宮殿には、このフォテーユを持ち運びするチェアポーターと呼ばれた職位まであったといいます。

写真4.1ルイ14世肘掛け椅子のコピー

写真4.1 ルイ14世のフォテーユ(肘掛け椅子)(1)

格式を重んずる宮殿では、王だけがこの椅子に座り、他の王族や公爵などは肘掛けのない小椅子、公爵夫人はプリヤーンと呼ばれた折りたたみスツール(写真4.2)や詰め物張りの丸いスツールであるタブレ(写真4.3)に座りました。

写真4.2プリヤーンのコピー

写真4.2 プリヤーン (2)

写真4.3タブレ

写真4.3 タブレ、一対 (3)

ルイ15世とロココ

バロック様式は、中国やイギリス、その他の国からの影響も受けて変容し始め、1715年のルイ14世の没後、ルイ15世の時代には、家具について、仰々しさが影を潜め、穏やかな傾向が定着しました。曲線の導入、軽快さ、優美さ、奇抜なデザインなどの要素が重視され、弯曲した背もたれをもち、より小型で軽快な椅子が主流になりました。これはルイ15世様式、あるいはロココ様式と呼ばれ、ロカイユ風と称する非対称な渦巻き模様や、貝殻模様、あるいは植物模様の装飾が多く用いられました。

ロココ様式を支えた主役は、バロック時代とは違って、宮廷を取り巻く貴族や高官、それに市民の富裕層でした。椅子は、単に地位の象徴としてではなく、より快適な休息姿勢を支え、楽しい社交の場を提供するツールの役割を果たしました。

写真4.4はルイ15世様式の王妃の肘掛け椅子(フォテーユ)ですが、座面と背もたれは全体的に膨らみをもたせた綴織りの張りぐるみなっており、当時流行した幅の広い張り輪のある女性のスカートに合わせて、椅子の肘掛けは後方につけられています。

写真4.4ルイ15世様式王妃の椅子のコピー

写真4.4 ルイ15世様式の王妃の肘掛け椅子 (4)

プライバシーを配慮して「耳」をつけたといわれる、ベルジェールと呼ばれた安楽椅子タイプの肘掛け椅子も登場しました(写真4.5)。

写真4.5ルイ15世様式安楽椅子のコピー

写真4.5 ルイ15世様式の安楽椅子(5)

写真4.6は、デュシェス・プリゼーと呼ばれた長椅子(シェーズロング)です。これは、貴婦人が普段着姿で親しい客を自室に招き入れる場合に使用した寝椅子です。

写真4.6ルイ15世様式肘掛け長椅子のコピー

写真4.6 ルイ15世様式の肘掛け長椅子(デュシェス・プリゼー)(6)

ルイ16世と新古典様式

ルイ16世の時代に入ると華麗な曲線構成のロココ様式に変化が生じました。曲線は軽薄なものとして飽きられ、ギリシア・ローマの古代建築を規範とした簡潔な直線と矩形による形態構成が、より合理的で気品のある様式として評価されるようになりました。これがルイ16世様式あるいは新古典様式と呼ばれるものです。

写真4.7と4.8にルイ16世様式の肘掛け椅子と小椅子の例を載せましたが、とくに脚の形にロココとの違いを見て取れます。ロココのカブリオール(猫脚)は影を潜め、直線的で先細のフルテーパ、表面にはフルーティングといわれる縦みぞの彫刻が施されています。座面は張りぐるみが一般化し、肘掛け椅子にはダブルクッションのものも登場しましたが、座り心地の点でルイ15世様式との違いはとくに見られません。もっとも、この時代の座り心地とは、あくまで安楽な休息姿勢をとったときの快適さであり、J.ピントが提唱する健康的な座り姿勢(9)とは違ったものです。

写真4.8の小椅子の背もたれが古代楽器をモチーフにした透かし模様で装飾されていますが、これは当時、イギリスでマホガニーの輸入税が廃止されたことを契機に彫刻家具が流行したことと関連しており、イギリス新古典様式の名匠チッペンデールらのデザインから影響を受けたものです。

写真4.7ルイ16世様式肘掛け椅子のコピー

写真4.7 ルイ16世様式の肘掛け椅子 (7)

写真4.8ルイ16世様式小椅子のコピー

写真4.8 ルイ16世様式の小椅子 (8)

新古典様式は、フランスとイギリスでほぼ同時期に、しかし別々に起こったとされています。バロックの伝統がないイギリスでは、ロココを新しい装飾として受け入れましたが、その凝った形態が馴染まず、中国の様式の影響も受けながらイギリス特有の様式として進化を遂げていきました。これらについては、別項の「イギリスの椅子の黄金期」で触れますが、新古典様式の初期の時代にはフランスのルイ16世様式にも多大の影響を与えました。

出典:

(1)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.156

(2)      同上 p.158

(3)      同上 p.159

(4)      同上 p.190

(5)      同上 p.188

(6)      同上 p.189

(7)      同上 p.224

(8)      同上 p.220

(9)     『A History of Seating』(J. Pynt & J. Higgs 著、Cambria Press、2010年 )

(2)中世からルネッサンス期の椅子

椅子と玉座が同義語だった中世

5世紀後半に西ローマ帝国が崩壊するとヨーロッパの政治が一挙に不安定になり、社会が荒廃して、人々の生活水準が低下しました。家具に対する関心も薄れ、城や寺院、それに貴族の家庭を除いて、一般の家庭で椅子が使われることはほとんどありませんでした。このため、何世紀にもわたって、椅子の機能性に関する改善が図られることもなかったのです。

封建制度が発達して君主の権力が絶対のものになり、椅子は封建的支配の象徴とされました。一方で教会の力が増し、法王の支配力が強化されました。椅子は、こうした帝王や聖職者に愛用された家具で、この時代には、「椅子と玉座はほとんど同義語だった」といわれています。

写真2.1は、ラヴェンナのマクシミアヌスの司教座で、6世紀のものです。この豪華な椅子は、ビザンチン様式の木製で、象牙の彫刻が施されたパネルがついており、当時の支配者の椅子としてほぼ完璧なものとされています。

写真2.1マクシミアヌス司教座ss

写真2.1 マクシミアヌスの司教座(1)

写真2.2は、聖ペトロが使用したといわれる司教座で、バチカンの重要な聖遺物です。カロリング王朝(840-866年)のシャルル1世の王宮でつくられた、軽くて均整が取れた玉座です。

写真2.2聖ペトロ司教座ss

写真2.2 聖ペトロの司教座(1)

このような玉座の他に、ローマ時代の大官椅子(セラ・クルーリス)から受け継がれた権威と結びついた、X型の折りたたみ椅子(ファルドスツール)がありました。写真2.3は、「ダゴベールの椅子」としてよく知られています。フランク王国を最初に統一したダゴベール王(605-39年)の椅子ですが、ブロンズ製鋳物でできています。このタイプの椅子は、神聖さと儀礼を重視したフランス王室のイメージに適合し、X型の玉座として権威の象徴とされました。後年、フランスの統治者が何代にもわたって、この椅子の改訂モデルをつくり、戴冠式の椅子としたといいます。また、ナポレオンがレジオン・ドヌールの大勲章の授与式に用いた様子を描いた絵画も紹介されています。

写真2.3ダゴベールの椅子のコピー

写真2.3 ダゴベールの椅子(2)

新たな心地よさを見いだしたルネッサンスの椅子

15世紀に入って、イタリアでは社会がより安定し、人々は古代ローマの文化を知るようになり、より心地よい生活の質が出現しました。イタリアのフィレンツェに端を発したルネッサンスの始まりです。

新たに見いだされた心地よさと衛生状態のよさを示す1つの証しが、シェーズ・ペルセ(chaise percee、穴あき椅子)と呼ばれた、トイレ用椅子の登場です。これは持ち運びができる、コンパクトな箱型のスツールの形をした室内用便器です。やがて17~18世紀、ヴェルサイユ宮殿を中心とした宮廷文化が華やかな時代には、ダマスクやビロードの張り装飾をした便座に、金のレースや金箔の鋲打ちを施すなど、トイレ用椅子の豪華さを競うことになります。しかし、残念ながら当時の実物がほとんど残っていないようで、『椅子の文化図鑑』にもそのものずばりの写真は載っていません。写真2.4は、1895年頃の「穴あき椅子」のカタログから取られたものですが、すでに贅沢さに代わって実用性が重視されています。ただ、こうしたトイレ用椅子の出現もルネッサンス期に端を発していたのです。

写真2.4穴あき椅子

写真2.4  穴あき椅子の例(3)

この時期、椅子はより軽快になり、洗練されたものになりました。シェーズ・ア・ブラ(chaise a bras)と呼ばれる、軽くて移動が可能な椅子も現れました。権力の象徴としての椅子は姿を消し始めたのです。写真2.5は、「カクトワール」と呼ばれる、15世紀後半の代表的な椅子です。この名称は、フランス語の「おしゃべり」の意に由来し、婦人がこれに座ってうわさ話に熱中するなど、好きなだけ話を楽しむための椅子なのだそうです。台形の座面は、当時のゆったりとしたスカートを上手く収めることを意図したデザインになっています。

写真2.5カクトワールのコピー

写真2.5 カクトワール(おしゃべり椅子)(4)

この時期には旋盤技術が発達して、椅子づくりの技術も急速な発展をとげたとされていますが、椅子が使われたのは、もっぱら、貴族や限られた裕福な家庭だけで、一般に普及するまでには至っていません。また、健康的な座り姿勢を支持する座具としての椅子という、J.ピントの視点からみたときには特筆すべき進展が見られなかったので、『A History of Seating』には中世からルネッサンスにかけての記述がほとんどありません。

出典:

(1)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.54

(2)      同上 p.58

(3)      http://www.aromageur.com/2006/0612/culture.html

(4)     『椅子の文化図鑑』(野呂影勇監修・山田俊治監訳、東洋書林、2009年)p.72

(完)